大使室より(アイスランドの沿岸警備隊)
令和4年4月23日
アイスランドは独立国としては珍しく「非武装」の国で、いわゆる軍隊というものを持っていません。
この国は、独立する前はデンマーク王国の自治領でしたから、軍事・防衛の権限は長らくデンマーク王が有していました。そのデンマークからアイスランドが国として独立する結果になったのは、第2次世界大戦時にデンマークを独が占領し、支配したことがきっかけで、例えば米国のように、国民が武器をとって独立戦争を戦った、というような歴史もありません。実質的に独立した後、この地に英国、次いで米国が軍隊を派遣しましたが、これらは、将来起こりうる独の侵攻に備えてのものでした。アイスランドがあえて自前の「軍隊」を持つ必要はなかったのです。
しかし、立派な実力組織である「沿岸警備隊」があり、国防の役割を一部担っています。
長らく沿岸警備隊の中心となる「戦力」であったのが、「オーディン」という名の船で、その名も北欧神話の最高神に由来します。1960年に就航し、2006年には惜しまれて現役を退きましたが、その後も沿岸警備隊が管理する浮かぶ海洋博物館として活用されています。
先日、その船を特別にご案内いただく機会がありました。
失礼ながら、特別大きな船というわけではなく、別の機会に見せていただいた英国海軍の空母(プリンス・オブ・ウェールズ)とは比べるべくもありません。武器装備も、船首に据え付けられた主砲くらいのもので、それも、かつて英国軍がボーア戦争で使った、という年代ものだそうで、完全武装の艦船を想像していた私には少し意外に感じました。しかし、平時の沿岸警備隊の主たる仕事は、自国海域での漁船による違法操業の取り締まりや海難救助ですから、まあ、当然と言えば当然。悪天候下で操業することもあるこの国の漁業従事者らにとっては、この船の存在は心強かったに違いありません。
そのオーディンを擁するアイスランドの沿岸警備隊が内外に名をはせたのが、その英国を相手に、70年代半ばまで、3次にわたって繰り広げられたいわゆる「タラ戦争」であったことはやや皮肉なことだと言わざるを得ません。アイスランドが一方的に自国の領海、排他的漁業水域を拡大する中で、水域内でタラの漁獲のために操業する英国漁船を取り締まろうとするアイスランド沿岸警備隊と、それを不法とし、漁船の拿捕を防ごうとする英国海軍の間で深刻な衝突、争いが生じたのです。
ご案内いただいたグズムンドルさん、この方は元国会議員で、引退後は、この船の展示保存に尽力されている方ですが、私がそのことに触れると、微笑みながら、英国の若い世代はもはやタラ戦争のことなど知らない、戦争は悲しむべきことで、どんな事情があるにしても、ないに越したことはないよ、と語っておられました。
このタラ戦争、最後は英国側が譲歩し、アイスランド側が勝利した、ということになっているのですが、それを自慢するでもなく、むしろ戦争の悲惨さを淡々と語られるグズムンドルさんの言葉に感動を覚えた一日でした。
このオーディン、退役後、長らく航海からは遠ざかっていましたが、来る6月には久しぶりに航海に出帆します。船首にあるマストですが、これは、実は、日本の造船業者が製造し、寄贈した経緯があります。この話は長くなりますので、別の機会に。
この国は、独立する前はデンマーク王国の自治領でしたから、軍事・防衛の権限は長らくデンマーク王が有していました。そのデンマークからアイスランドが国として独立する結果になったのは、第2次世界大戦時にデンマークを独が占領し、支配したことがきっかけで、例えば米国のように、国民が武器をとって独立戦争を戦った、というような歴史もありません。実質的に独立した後、この地に英国、次いで米国が軍隊を派遣しましたが、これらは、将来起こりうる独の侵攻に備えてのものでした。アイスランドがあえて自前の「軍隊」を持つ必要はなかったのです。
しかし、立派な実力組織である「沿岸警備隊」があり、国防の役割を一部担っています。
長らく沿岸警備隊の中心となる「戦力」であったのが、「オーディン」という名の船で、その名も北欧神話の最高神に由来します。1960年に就航し、2006年には惜しまれて現役を退きましたが、その後も沿岸警備隊が管理する浮かぶ海洋博物館として活用されています。
先日、その船を特別にご案内いただく機会がありました。
失礼ながら、特別大きな船というわけではなく、別の機会に見せていただいた英国海軍の空母(プリンス・オブ・ウェールズ)とは比べるべくもありません。武器装備も、船首に据え付けられた主砲くらいのもので、それも、かつて英国軍がボーア戦争で使った、という年代ものだそうで、完全武装の艦船を想像していた私には少し意外に感じました。しかし、平時の沿岸警備隊の主たる仕事は、自国海域での漁船による違法操業の取り締まりや海難救助ですから、まあ、当然と言えば当然。悪天候下で操業することもあるこの国の漁業従事者らにとっては、この船の存在は心強かったに違いありません。
そのオーディンを擁するアイスランドの沿岸警備隊が内外に名をはせたのが、その英国を相手に、70年代半ばまで、3次にわたって繰り広げられたいわゆる「タラ戦争」であったことはやや皮肉なことだと言わざるを得ません。アイスランドが一方的に自国の領海、排他的漁業水域を拡大する中で、水域内でタラの漁獲のために操業する英国漁船を取り締まろうとするアイスランド沿岸警備隊と、それを不法とし、漁船の拿捕を防ごうとする英国海軍の間で深刻な衝突、争いが生じたのです。
ご案内いただいたグズムンドルさん、この方は元国会議員で、引退後は、この船の展示保存に尽力されている方ですが、私がそのことに触れると、微笑みながら、英国の若い世代はもはやタラ戦争のことなど知らない、戦争は悲しむべきことで、どんな事情があるにしても、ないに越したことはないよ、と語っておられました。
このタラ戦争、最後は英国側が譲歩し、アイスランド側が勝利した、ということになっているのですが、それを自慢するでもなく、むしろ戦争の悲惨さを淡々と語られるグズムンドルさんの言葉に感動を覚えた一日でした。
このオーディン、退役後、長らく航海からは遠ざかっていましたが、来る6月には久しぶりに航海に出帆します。船首にあるマストですが、これは、実は、日本の造船業者が製造し、寄贈した経緯があります。この話は長くなりますので、別の機会に。