大使室より(オーディン・マストの寄贈式)
令和4年6月16日



以前に、ここで、アイスランドの沿岸警備隊、そして、長らくその中心となって活躍した船、「オーディン」の話を書きましたが、その後日談です。
2011年3月に日本で起きた東日本大震災では、多くの方々がお亡くなりになり、大勢の方々が生活の基盤を奪われました。
私は、当時、海外の大使館に赴任をしていましたが、テレビに写しだされる日本からのニュース映像にかつてないほどの衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。
災害後の支援と復旧の活動には国内各地からもさまざまな協力、支援が提供されていますが、ありがたいことに、多くの海外の方々も支援の手を差し伸べてくれました。
そうした善意を忘れず、感謝の気持ちを持ち続けることは、国際社会に生きる私たちにとって大切なことだと思います。
アイスランドは日本からは遠く離れていますが、ここ、アイスランドでも日本で被災して困っている人たちを気遣い、支援をしてくれる人たちが大勢いました。日本の北国の、まだ寒さも厳しいこの時期、全てを無くした被災者らが避難所などで不便な生活を強いられている、と知り、セーターや帽子、手袋などを作り、集めて送る運動をされた人たちもいます。
毛糸の編み物が盛んなアイスランドのこと、手編みが趣味の人たちが教会の集会所などに集まってそうした被災者の境遇に思いをはせつつ、防寒具をつくり、寄贈品を集荷、発送する活動をされた、と聞きました。ちなみに、この間、アイスランドから日本への物品の郵送料は特別に無料扱いとされたそうです。
支援のために、実際に現地を訪れた人たちも少なくありません。
今は沿岸警備隊を退職されたエギル・ソルザルソンさん、陽子さんのご夫妻も、日本の災害のニュースを聞いて居ても立ってもいられなくなった人たちで、災害後まもなくの6月に日本を訪れ、津波で大きな被害を被った気仙沼市でボランティア活動をされたそうです。
かつて盛んだった気仙沼の造船業の施設は、震災の際、津波で壊滅的な被害を受けました。しかし、その後、大変なご苦労の末に復興を果たし、複数あった会社が合併、統合して新会社「みらい造船」を設立し、再出発を果たします。みらい造船の木戸浦社長は、震災直後にご夫妻とお会いになり、その後もお付き合いを続けてこられましたが、アイスランドの人たちの温かい支援への感謝の気持ちをずっと抱いてきました。エギルさんから、浮かぶ博物館となった「オーディン」修復に、新しいシグナル・マスト(船の船首に設置される塔のようなものです。)が必要になる、と聞くと、木戸浦社長はその製造、寄贈を申し出られました。
その際、木戸浦社長は、「私たちは、毛糸のセーターを編むことはできませんが、新しいマストをつくることはできますよ。」とおっしゃられたそうです。
この友好親善の証のシグナル・マスト、この度、大統領臨席の下、寄贈式が行われました。
木戸浦社長らもこの期にアイスランドを訪れ、式にご出席されました。
長い話になりましたが、そうした記念すべき場に、日本の大使として臨席させていただき、一緒にお祝いさせていただくことができたことはとてもうれしく、また誇らしく思います。
2011年3月に日本で起きた東日本大震災では、多くの方々がお亡くなりになり、大勢の方々が生活の基盤を奪われました。
私は、当時、海外の大使館に赴任をしていましたが、テレビに写しだされる日本からのニュース映像にかつてないほどの衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。
災害後の支援と復旧の活動には国内各地からもさまざまな協力、支援が提供されていますが、ありがたいことに、多くの海外の方々も支援の手を差し伸べてくれました。
そうした善意を忘れず、感謝の気持ちを持ち続けることは、国際社会に生きる私たちにとって大切なことだと思います。
アイスランドは日本からは遠く離れていますが、ここ、アイスランドでも日本で被災して困っている人たちを気遣い、支援をしてくれる人たちが大勢いました。日本の北国の、まだ寒さも厳しいこの時期、全てを無くした被災者らが避難所などで不便な生活を強いられている、と知り、セーターや帽子、手袋などを作り、集めて送る運動をされた人たちもいます。
毛糸の編み物が盛んなアイスランドのこと、手編みが趣味の人たちが教会の集会所などに集まってそうした被災者の境遇に思いをはせつつ、防寒具をつくり、寄贈品を集荷、発送する活動をされた、と聞きました。ちなみに、この間、アイスランドから日本への物品の郵送料は特別に無料扱いとされたそうです。
支援のために、実際に現地を訪れた人たちも少なくありません。
今は沿岸警備隊を退職されたエギル・ソルザルソンさん、陽子さんのご夫妻も、日本の災害のニュースを聞いて居ても立ってもいられなくなった人たちで、災害後まもなくの6月に日本を訪れ、津波で大きな被害を被った気仙沼市でボランティア活動をされたそうです。
かつて盛んだった気仙沼の造船業の施設は、震災の際、津波で壊滅的な被害を受けました。しかし、その後、大変なご苦労の末に復興を果たし、複数あった会社が合併、統合して新会社「みらい造船」を設立し、再出発を果たします。みらい造船の木戸浦社長は、震災直後にご夫妻とお会いになり、その後もお付き合いを続けてこられましたが、アイスランドの人たちの温かい支援への感謝の気持ちをずっと抱いてきました。エギルさんから、浮かぶ博物館となった「オーディン」修復に、新しいシグナル・マスト(船の船首に設置される塔のようなものです。)が必要になる、と聞くと、木戸浦社長はその製造、寄贈を申し出られました。
その際、木戸浦社長は、「私たちは、毛糸のセーターを編むことはできませんが、新しいマストをつくることはできますよ。」とおっしゃられたそうです。
この友好親善の証のシグナル・マスト、この度、大統領臨席の下、寄贈式が行われました。
木戸浦社長らもこの期にアイスランドを訪れ、式にご出席されました。
長い話になりましたが、そうした記念すべき場に、日本の大使として臨席させていただき、一緒にお祝いさせていただくことができたことはとてもうれしく、また誇らしく思います。